なぜ菜々緒がアルマーニのアンバサダーに選ばれたのか?美の価値観について
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モデル出身の女優、菜々緒さんが、イタリアのファッションブランド「ジョルジオ・アルマーニ」のクロスロードプロジェクト、アンバサダー日本代表に選出されました。
<菜々緒>“世界で14人”アルマーニ選出アンバサダーに “人生の岐路”を語る
クロスロードプロジェクトとは、世界の様々な国から選ばれた14人の女性が、自分の人生で迎えた岐路について語るプロジェクトのこと。
ファッションブランドのイメージキャラクターとして広告を飾る存在とは別な物ですが、彼女のようなタイプの女性が日本から採用されたことは、日本のこれまでの美の基準から見て時代の流れが象徴的に見受けられました。
現代は、アメリカ合衆国はかねてからもちろん、日本においても、強くてたくましい女性像が求められ、また美しいとされる時代です。
このニュースを受けたコメントでは、ほぼ全員が賛同の声をあげているのが、珍しいくらいです。
女性のタイプの好き嫌いは男女共に多いものですが、菜々緒さんのあの激しい気性、きつい外見は問題なく支持されているもようです。
一昔前であれば、日本においては、女性のこのような態度は、教育の現場であれば横面をはたかれるくらいのものでした。
二極化した美と憧れを感じる女性像、美の基準
景気も思うように良くならない老齢化社会、働き甲斐もなく、夢も持ちづらい、男が男らしく女性が女性らしく過ごせない。
男女雇用均等化が定着して、女性の社会進出が進みましたが、思っていたほどではなく、かえって女性の負担も増え、それが少子化にもつながってしまっています。
教育や個人の努力がどのくらい報われるのか?!
日本のこのような、ふがいない時代における美の基準は、二極化しています。
従来通り、清楚で可憐なアイドル系または、奇麗でたおやかなお嬢様タイプ、そして強い女性像、時には男性を打ち負かしてしまうほど圧倒的で強烈な女王様や上司、天才タイプです。
アメリカの強く美しい女性像
80年代のアメリカでパワーウーマンがもてはやされた頃、格好良いブランド物のスーツで身を固めて高層ビルのオフィスで出世できるのは、まだ数が限られていました。
しかし、そうでない女性達はしたたかに、己が美貌と健康的でセクシーな体を、男性からプロデュースされることなく商品化することに成功し始めました。
現代の目から見れば、男性の欲望をそそる存在の位置づけなものの、その立場を逆手にとったものでもありました。
現代の強く美しい女性像は、映画の世界での描き方で明白です。
年端の行かない幼い女の子であっても、悪人男性の思い通りにはさせないほど強く描かれることが多くなりました。
あまりにも女性や子供を対象にした惨い犯罪が多いため、そうなりにくい様に警告を含めた内容にされているのではないのかと勘繰りたくなる時もありますが、見ている自分にも美しく魅力的に見えるため、このような女性美に対する傾向は世界的な傾向であると推測されます。
日本女性の美の象徴の変化
一世を風靡した日本女性の美の象徴は、昔も今も、かつて80年代の高田健三(ケンゾー)パリコレクションで活躍した山口小夜子さんの神秘的なイメージが強くあります。
目の真上で切りそろえた前髪、長めの黒髪のボブヘア、切れ上がった長い目、高い頬骨、陶器のような白い肌。繊細で儚いイメージを持っています。
アメリカ映画やミュージックビデオに登場する日本(中国との混同あり)女性の外見は、たいてい典型的なこのタイプです。
ただし、2000年を過ぎた近年では、少しサディステックな強さをもったセクシーな女性感に変化している傾向があります。
役柄を演じていた女優さんの人気も強い影響もありましたが、最近の音楽プロデューサーの演出や起用法を見ていると、かつての美しさと少し違う印象です。
リューシー・リューは、中国系アメリカ人で、アジア系容貌の特徴をポジティブに生かし、物凄く気の強い迫力ある怒った顔しかしないような弁護士役で人気を評しました。
アジア系の女性は、清楚で優しくにこやかで大人しい印象を覆した人です。
現在アメリカでモデル業をされているハマノミキさんも、アメリカのザ・ウィークエンドの新曲MV「Blinding Lights」に出演されていました。
ワンフレーズのみのヴォーカルと謎のアジア人の存在感が印象的なロングヒット作です。
外見は、山口小夜子に酷似しており、典型的な印象ですが、MVを視聴していくにつれ、これまでとはまったく違った女性美が映し出されています。
ちょっと女神的なシルバーのドレス姿の彼女は、モデルらしく体格がよく上背があるうえゴツゴツと骨ばっています。
広い肩幅、おおきく張った腰骨、西洋人の目から見れば華奢なものですが、かなり大柄で強靭な感じです。
そしてもっと印象的なのは、彼女のにらみつけるような強いまなざし、顔付きです。
映画でも、アニメでも、最近の女性は、このような鋭い顔付きで描かれることが多くなりました。
しかし、日本の歴史から見ると、女性のこのような美の表現は、けっして初めてのことではありません。
花魁のにらみつけるようなきつい表情に見る美の価値観
幕末の時代に、日本を訪れた外国人カメラマンの写真が幾つか残されており、貴重な資料として当時のインタビューとともに保存されています。
当時は、公家はもちろん、武家や大きな商家の子女達は、写真を撮られるなんていうことはめったなことではなかったため、もっぱら被写体は庶民がほとんどでした。
皆グレイッシュな着物を着ており、小柄で、姿勢が悪い。今でも日本人は西洋人と比べて生活様式や習慣から姿勢があまり良くないのですが、とにかく猫背が多いのです。
その中において、ひときわすくっと姿勢が良く、顔も小さくきりっと写真映えが現代人同様な女性に目が留まったのですが、やはり花魁の姿でした。
しかし、その表情は固く、きつい目つきでこちら側を睨みつけ、口は堅く食いしばっているかのようです。
カメラマンの記録によると、美しいので、もっと笑顔でと注文すると、いや、この顔(表情が)美しいのだと譲らなかったという事です。
確かに、今でも映画などの花魁道中の再現では、睨みつけるようなきつい表情です。
現代で花魁と聞くと、位は高くとも物悲しい性を売る女性と思われがちですが、それは誤解で、娯楽の限られたこの時代にあっては人気アイドル歌手並みの存在でもあったそうです。
戦争のない時代が続いた文化が爛熟した時の美の基準は、なんだか現代にも通じるような気がしなくもありません。
幕政には、あと100年近くも間がありますが、強く厳しい女性美を良しとする美の価値観は、現代の矛盾に満ちた不甲斐なさ、爛熟期にさしかかった文化ならではの傾向かも知れません。